自然の中に住み、自然を描く、寺尾一郎のクレヨン画

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ウォーキング途中に以前つらつら考えていたことがあります。

それは日本は昔から「縮みの文化、レトリックの文化」ではないかということ。

日本は広くあまねく世界を見渡しても、どんどん小さくしていくことにかけては無類の職人的な上手さを発揮しますね。

コンピューター、デザイタルカメラ、PC、アイフォンといった工学機器の心臓部でもあるICチップ。

これは日本の技術を駆使して成り立っているようなものではないでしょうか。

写真のSONYのウォークマンしかりです。

その逆ででかくなることに関しては必ずといってよいほど世界から袋叩きの目に遭います。

大日本帝国、大東亜共栄圏などなど・・・。

そして案の定、経済大国という「大」の字が入ったとたんにアメリカから袋叩きに遭いました。

そんなことから、日本の国のあるべき姿、本質は「縮み」に象徴されているような気がしてなりません。

翻って「レトリックの文化」の発達。

日本語には実に精妙で感性豊かな語彙が豊富に存在します。

色の表現などが最たるものではないでしょうか。

そして相手を慮ってのことかどうかはともかくとして、直接的な表現を避けた言葉が多いのも確か。

電車のホームにある時計(最近みかけなくなりましたが)も壊れているときに貼られているシール標示が「調整中」

決して「故障中」とは表現しません。

飲食店などの玄関にも「閉店」とは記さずに「準備中」と表現する場合が圧倒的に多いですよね。

こんな観点から世界状勢の中で日本がどのように接していけばよいのかの人類学的な考察ができるような気がしてなりません。

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