自然の中に住み、自然を描く、寺尾一郎のクレヨン画

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世界指揮界の帝王として20世紀を君臨し続けてきたヘルベルト・フォン・カラヤン。

これまでにも随分とあれこれ彼のことについて考え、述べたりしてきましたが、今回は終生彼が変わることのなかった立ち位置である「音の美食家」について述べてみたいと思います。

1908年4月5日、モーツアルトと同じオーストリアはザルツブルグに生まれ、1989年7月16日、生まれ故郷のザルツブルグで享年81歳の生涯を閉じます。

生前、カラヤンは驚くほど数多くの仕事をしてきたはずですが、究極のところ、それは1955年に前代のフルトヴェングラーの急死によって得たベルリン・フィルハーモニー管弦楽団という世界最高峰のオーケストラを彼の指揮者としての完全な道具に仕立ておおせたことが一番の顕著な成果だったのではないかと今でもそう思います。

当時、もし仮に彼とベルリン・フィルとを絶ち切ってしまったら、途端に彼は両方のハサミを落としたカニのようになってしまったかもしれません。

彼がなんだかんだ言っても現実に音楽的に素晴らしい生命力を示すことができたのもこのオーケストラというハサミのおかげであって、少し極端にいえば、この共同作業の栄光があったればこそ、彼はヨーロッパの主要都市(パリ、ロンドン、ベルリンetc)でも野良犬にならずにいられたのかもしれません。

もちろん物凄い超人的な記憶力と感性、そして洞察力をもった人だったから、どこへ行こうがそれ相応のことはやってのけたのでしょうが、一朝一夕の芸は所詮はベルリンと肩を並べるわけにはいかなかったはずです。

先代のフルトヴェングラーという強烈な個性の強い指揮者に完璧に飼いならされてきたオーケストラを1955年に譲り受けて以来、カラヤンはそのへばりついた垢を綺麗にしかも丁寧に洗い落し慎重に作りなおして磨いていったはずです。

そして彼はそのかけがえのない意味を慎重に分析し、検討を重ね、まるで練達の庭師が石を動かし、木を植えかえるようにして、新しい時代に即応する様式に丁寧にがまん強く変えていったはずです。

だいたいにおいて、この指揮者は音に関しては超がつくほどの美食家で、よごれものに対しては極端に嫌悪感をもよおすタイプだったと思います。

身なりでいえば本質的におしゃれなのです。

ラフネスの効用も心得た男ですが、それは文字通りその効用を熟知しているだけのことで、それにのめりこむ気はさらさらなかったはずです。

ただ綺麗好きといってもこれもそれほど独創性を秘めたものではなくて、まあ一流のショーウィンドウに並べてその水準を問われないといったようなレベルであって、特に一般の美感にとって難しくもなんでもない当たりの良さを身上としていたのではないでしょうか。

しかし、そこにこそ、彼が一般大衆にまで受け入れやすい音の美化を目指した根本的な理由があり、それを生まれながらにして本能的にかぎわけていたという点で、僕はカラヤンが没後26年になった今になっても稀有な存在であると確信をもてる最大の理由でもあるのです。

 

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