自然の中に住み、自然を描く、寺尾一郎のクレヨン画

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今月は師走。うまくいったもので本当になにかと周辺のことであわただしくなってきます。

徒弟関係でいえば師匠はなにかと弟子のためにせわしなく動き回ったからなのかどうか。

ところで師走も後半、年末が近づいてくると全国あちこちでベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」が演奏されます。

ベートーヴェンファンにとっては、この曲を聴かずして年越しができないとまでいうお方までいらっしゃいます。

うっかりしましたが、昨日(12月16日)がベートーヴェンの誕生日で、生きていれば御年244歳になることになります。

もうかなり遠い過去の人になってはしまいましたが、それでもいまだに「楽聖」とまでいわれる有名人であることに違いはありません。

年齢も57歳と当時の作曲家にしてはそこそこ長く生きたほうではないでしょうか。

ところで上記の年末に第9を演奏することから、地元のチビッコも含めてかなり多くのお方がこの曲は年末に演奏するものだと信じて疑わないお方がかなり多くいらっしゃいます。

日本での初演は1918年に徳島県の現在の鳴門市にあったドイツ兵捕虜収容所で捕虜の兵士たちが、この曲を演奏したのが最初のようです。

この時の収容所の所長が、「武士の情け」ではありませんが、「祖国のために正々堂々と戦った彼ら」を思い切り称賛し、礼節を尽くしたことで、ドイツとの意外なところでの友好関係が結ばれたという話はつとに有名ですね。

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さて、純粋に音楽として演奏されたのはいつかというと1943年に、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)の奏楽堂で学徒出陣壮行会で演奏されたのが最初です。

1943年といえば忌まわしい太平洋戦争も戦況が悪化の一途だったころで、法文系学生にも徴兵令がくだっていた時期だそうで、卒業式を3月から12月に繰り上げて、第4楽章のみを演奏して卒業と出征の両方を同時に祝ったのだそうです。

また戦地で亡くなった兵士へのレクイエムとしての送別も兼ねて12月に演奏されたという記録もあります。

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さて、戦後になってどうであったかというと、この風習がずっと長く継続されて、いまだにご存知のように年末や大晦日に演奏されています。

しかし戦後以降は少しばかり事情が異なってきます。

それは当時から日本のオーケストラは、ヨーロッパのように文化として根付いていませんから、お客の入りも悪く、従って収入も低いかなり辛い生活だったようです。

しかし、他の曲に比べてこの作品では1枚目の写真のようにオーケストラの後ろにコーラスが大勢入りますから、彼らがみな仲間たちにチケットを売りさばくことでかなりの集客が見込めたのだそうです。

またコーラスはアマチュア大歓迎ですからギャランティもプロのように多くはずむ必要もなく、従って収益もアップしますね。

そんなかんなで貧しい生活、年末にはこの有名な曲で一気にボーナスを稼ごうということになり、いつのまにかこの習慣がずっと定着してしまったというのが背景です。

では、本当のところはどうなのか?

もちろんこの曲は年末に演奏されるものではなく世界各国で祝典のときに華やかに演奏されるのが本来の姿です。

なんといっても最後の第4楽章のコーラス歌詞は、シラーの歓喜に寄せたもので「世界平和」を歌っているのですから。♪~

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