自然の中に住み、自然を描く、寺尾一郎のクレヨン画

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日本で音楽史を習った人が、本当の音楽史を知ったら、ことの意外性にびっくりしてしまうのではないでしょうか。

それでは僕も小学校、中学校で習った代表的なクラシック音楽史をごく簡単にここでご紹介してみます。

「音楽史は(古いところは別として)バッハ、ヘンデルらのバロック音楽に始まり、ハイドン、モーツアルト、こ古典派を経て、ベートーヴェン、シューベルトを生み、そのあとメンデルスゾーン、シューマン、ブラームスらのロマン派音楽に至り、あるいはワーグナーの楽劇を生む。この流れはさらにマーラーやR.シュトラウスを経て、現代音楽につながっていく・・・・」。

と、まあ大体こんなふうな概念が大方の頭の中に入っているのではないでしょうか。

事実、かなりのクラシック音楽マニアでさえ、この上記の流れのどこが違うんだと豪語する輩まで出てきます。

しかし、実際はこんなふうに流れてきたのではまるでありません。

実はここに大きな戦後の日本の音楽史教育に落とし穴があるのを皆さんはご存知でしょうか。

憲法や政治などについて戦後の日本はそのほとんど大半をドイツから学びとってきました。

そのドイツはいまだにクラシック音楽のルーツはバッハ以降・・・云々を思い切り自信をもって語る始末ですが、ここに日本の音楽史教育の大きな欠点があるのです。

では実際の西洋音楽史はどのように流れてきたのか、もし同じような字数で書き表すとしたら、こんな風になるのではないでしょうか。

「ルネサンス以来、文化はイタリアに大いに興り、音楽も決して例外ではなく、ヨーロッパの近世・近代の音楽はイタリアによって支えられてきた。ヨーロッパの宮廷ではどこもかしこもイタリア人またはイタリアに留学した音楽家を楽長に抱え、オペラ、教会音楽、コンサート、食卓音楽などの仕事を司らせた。

フランス革命後、音楽は市民社会に流れ出すが、そこでの花形はイタリア・オペラであり、コンサート・ライフはむしろ二義的であった・・・。」

なんだこれは・・・バッハもヘンデルもハイドンも、あの偉大なベートーヴェンを含めてドイツ音楽家の名前はどこに行ったんだ・・・と首をかしげたくなってしまうことでしょうね。

なにはともあれ、クラシック音楽の原点、最高の楽器は何かといえば、その当時は「声」、つまりアカペラでした。

楽器の伴奏もなく大きなひんやりとした教会の中で礼拝のときにうたうグレゴリオ聖歌、これがクラシック音楽の原点といってもよいかもしれません。これで宗教の世界では人々を荘厳厳粛な世界にいやおうなしに引きづり込んで洗脳したとまでいえます。

しかし一般市民にまで娯楽がもとめられて、日常のドタバタ劇が声を使いながら行うオペラなるものが発達してきたというわけです。us-cl39-1_R

音楽の都としても有名なオーストリアはウィーンでさえ、当時はイタリア語によるイタリアオペラばかりが上演されていたわけで、それを父親との旅行でいやというほど痛切に感じたのがかの有名なモーツアルトでした。

彼は生涯に26近くものオペラを作曲しますが、大半はセリフがイタリア語であることからもわかるでしょう。

もっとも肩身の狭い思いをしていたベートーヴェン以降のドイツの作曲家たちも基本の勉強は全てがイタリア音楽を勉強するというものでした。

しかしそこはプライドが高いドイツ人のこと、後世に残す記録にイタリアの基礎的な音楽のおかげでのちのち音楽が発達したのだとはどうしても口がさけてもいえないのです。

余談になりますが、あの世界指揮界の帝王カラヤンがウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任したとき一大革命をおこそうとしてウィーンの人々から総すかんの目に遭います。

何をしたのかといえば、それまでウィーンでは例えイタリアの本場のオペラを上演するときでさえも歌詞は全てドイツ語でやっていたものを徹底的に避難して全てイタリア語言語に戻して正統に歌わなくてなんの意味があるのだと大クレームをつけたからでした。

それほどまでにオペラのセリフでさえイタリア語が当たり前だということすら、今の教育では教えないのか教えられないのか。

ものの本質を教えるということに教育関係のお方たちは心血そそいでやってほしいものです。

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