自然の中に住み、自然を描く、寺尾一郎のクレヨン画

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徳川家康が工事をはじめ、3代将軍でほぼ完成したという江戸。

いいかえれば徳川家康が将軍にならなければ、もしかしたら豊臣以降ずっと大阪が栄えて日本の首都になっていたことは容易に想像がつきます。

物凄い先見の明で荒れ地湿地の江戸を一大都市に生まれ変わらせたという意味で、家康の功績は大いにたたえられても不思議ではないでしょう。

そして広大な土地に江戸城、武家屋敷、城下町と今の東京の下地つくりが完成していったわけです。

さて、その江戸城が、現在の千代田区の皇居になるわけですが、この皇居、当然江戸城のころからの門がそのまま残っていますが、さて、一体正門ってどこなんだろうと不思議に思ったりします。

いろいろ調べても、井伊大老が暗殺された桜田門や大手門、お正月の一般参賀の二重橋、千鳥ヶ淵の桜で有名な半蔵門、などですが、正門という名前は見当たりません。

僕はずっと官庁街の霞が関に向いているし、南の方角が普通なら正門なんだろうなと漠然としたイメージをもってしまうので、やはり桜田門が正門なのかな、いや待てよ、最も栄えた玄関口、東京駅丸の内や銀座などがあるから二重橋のある東の方角かな、とか、あれこれ悩んでしまいます。

しかし、記憶をたどっていくと天皇皇后両陛下が車で出入りするところをテレビで中継しているのが(決して頻繁ではありませんが)半蔵門です。

何か意味があるのだろうかなと、またまた大好きな想像をめぐらし、そうだ、2年くらい前にシリーズ化されたディアゴスティーニの「週刊江戸」を買ってあったのを思い出し、早速本棚から引っ張り出してきて見たら、これまた案の定、正門についての記述はどこにも見当たりませんが、ひとつ大きな有力なヒントを見つけました。

先にも述べたように江戸は思い切り湿地帯だったところを随分と長い年月をかけて整地にしていったところ。東側はほとんどが東京湾みたいな感じだったはずです。

まことに出入りするには足場が悪いというか正門に適した門にはなりえないなと感じます。

次が主要な街道です。

あの時代の主要な街道といえば、東海道、中山道、奥州道、日光街道、ですが、みんな江戸城に直結していません。これまた不思議でいずれも足場の悪い湿地帯を整地にしたところが出発点みたいになっている始末。

ところが、なぜか大事な街道である甲州街道だけは湿地帯みたいな沼地ではなく、しかも今でもそうですが、両脇はなだらかな斜面になっていてその尾根を伝うように新宿から半蔵門までが直結しています。

なるほどなあ、もしかすると家康公は江戸にやってきた時に、この甲州街道をやってきて、今の半蔵門に立ち止まったときに、秀吉の居住城の大阪城をだぶらせて(あの人のことだからそうした先見の明で土地柄、地形までも見抜いただろうし)、こここそが敵が攻めてきても必ず食い止めることが可能で、緊急避難も東海道などメインから敵が攻めてきたときにさっさと逃げることまで出来るということを瞬時にイメージしたのではないかと思ったりするようになりました。

しかも桜のお花見で有名なあの千鳥ヶ淵のお堀。ほかの門の周囲と違って明らかに高い石垣が組まれてもいます。

そうなると街道とも直結しているのは、この半蔵門しかありませんから、先の天皇皇后両陛下の出入りも考えて、ここが正門になるのではないかなと考えてしまいました。

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