自然の中に住み、自然を描く、寺尾一郎のクレヨン画

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幕末から明治維新にかけて、最も活躍した英雄は誰でしょうか?と訊ねると、ほとんどの人が坂本龍馬と同じかそれ以上に人気が高いことをうかがわせるほど、この人の名前をあげます。

僕のような歴史大好き人間、それも学識経験者のような既存資料で判断するのではなく、人間性からひも解いて謎解きするようなタイプの人にとっては、どんな姿顔形をしていたのかということは物凄く大切なことなんですね。(あくまでも僕の持論)

さて、幕末も後半になってくると外国から写真技術が入り込んでくるため、嬉しいことに、当時活躍した人が絵画ではなく、写真で見れる、これは物凄く貴重で大事なこと。

写真家ベアトという人物を無視することはできません。彼はイギリス本国からアジアを転々としてきたあげくに最後に日本にやってきて、膨大な数の歴史資料としての貴重な写真の数々を残してくれています。

あの長崎で撮った有名な坂本龍馬の写真なども大半は彼の手によるものです。

我々はそんな写真を見て、当時の人々の顔がわかるとそこまでで思考回路は終わりますが、そこから先が重要なのです。

このベアトは熱心に写真を撮ったはいいがそれで終わりなのではありません。

逐一そうした写真を本国イギリスに送り、向こうの新聞に活用されていただけではなく、大いなる諜報部員でもあったわけです。

こうしたお話はそのうちにこのブログでアップしたいと思いますが、要は太平洋戦争はおろか、幕末のときから日本の国内の出来事は外国、特にイギリスには全てが筒抜けだったわけです。

さて、大半の幕末明治維新にかけての英雄たちは写真で見ることができますから、こんな人だったのだと容易に想像がつきますが、そんな中でたった一人だけ、写真が1枚も残っていない人が誰だかご存知でしょうか。

確かにこの人は生前から大の写真嫌いだったそうで、薩摩の大久保、小松、長州の木戸、高杉、伊藤などなど、俺は偉いんだぞとふんぞり返っている写真がある中で全くといってよいほど残っていません。従ってそのときの姿を銅像にするのも顔も想像で描いたり作るしかなかった、

とここまでくれば誰のことを指しているのかもうおわかりですね。

ところがその皆無といわれていたはずのこの人に生前の写真がでてきたとなって騒然となってしまいます。

なぜなら巷間伝えられているところの顔と似ても似つかない顔だからです。

その2枚の写真がここに記載したものですが、1枚目はどうやら長崎で撮影された集合写真、2枚目はかなり近くから撮影されたもののようですが、答えは上記集合写真の13番の人、そう、西郷隆盛なのですね。

上野公園の銅像とは似ても似つかない顔ですが、それもそのはず、あの銅像も除幕式のときに奥様が見た瞬間に、まるで別人だわと口走ったとか。

たしかにいかつい顔をしてはいますが、そうだったのかという新鮮な驚きがあるのは僕だけではなかったでしょうか。

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