自然の中に住み、自然を描く、寺尾一郎のクレヨン画

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最近のクラシック音楽界は、CDの売り上げがめっきり減少しているのだそうです。もはや映像つき音源の時代といえるのかもしれません。

確かにオペラなどの舞台総合芸術とは違って、コンサート会場での演奏が音だけでも十分に成り立っていた時代はとうの昔になってしまった感があります。

さて、そんな中でレコードという画期的な録音技術にいち早く目をつけて、この媒体を思い切り活用してきた指揮者は今でもカラヤンをおいて他には見当たりません。

あんなものは所詮音の缶づめだといって馬鹿にしていたフルトヴェングラーなどとは正反対に位置していたカラヤン。

彼はそれをすることで自分の名声を飛躍的に拡大させることができることをも含めて、ひとりでも多くの聴衆が会場にこれなくても自宅にいながらにして聴けるようにという情熱が凄い人でした。

だからこそ新たな技術には飛びつくといった世界でSONYの創業者、盛田昭夫氏とも確固たる信頼関係が築けていたのでしょう。

そんなカラヤンがレコード録音だけに飽き足らず、映像にまで意欲をもったのは、1960年の来日がきっかけだったそうです。

翌日の休演日に外出するとどこへ行っても「昨日の映像を見て感動しました」と挨拶されて、彼はメディアの威力を悟ったのだと思います。

それからというもの、彼はオペラだけでなく自分の指揮するコンサートも作品にしだします。

多少皮肉をこめて言わせてもらえば、自分がハンサムでカリスマ性があることを熟知したうえでのナルシスト的な世界が垣間見えてもいます。

どの映像作品を見ても100のうちの80は彼の指揮するアップの姿ばかりなのですから。

しかしカラヤンは最晩年まで自分の指揮姿に他の映像監督の介在を許すことはありませんでした。

こうなると賛否両論わかれるでしょうが、ただ間違いなく言えることがあるような気がしてなりません。

それは世界中のオーケストラが最近のクラシック音楽離れを危惧し、困惑しているなか、ベルリン・フィルなどが自主レーベルで映像付きの音楽を配信するなどの新たな市場開拓をし始めているのも、30年近くも前にそれを先んじて一人で執念を燃やし続けていたカラヤンがいたからこそといえるからです。

他の人の意見に一切耳をかさず、カメラアングルまで全て自分が決めていたという話は既に神話にさえなりつつあります。

カラヤンが亡くなる1年ほど前によく漏らしていた言葉が忘れられません。

「私は世の中に生まれてきたのが10年早すぎた。できることであれば冷凍付けにして10年後に再び蘇らせてほしいくらいだ」と。

今、この現代にカラヤンが生きていたとすれば、インターネットやフェイスブックといったSNSを使って何をしでかすかわかりません。

きっと天国で地団太踏んで悔しがっているのではないかとすら感じます。

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